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ツインリンクもてぎ ホンダコレクションホール|宮城光さん ガイドツアー

ツインリンクもてぎ ホンダコレクションホール|宮城光さん ガイドツアー
の詳しい動画をご紹介します。

ツインリンクもてぎにあるホンダコレクションホールでは、コレクションホールのスタッフによって、展示車両のの特徴や、当時の時代背景などを案内してもらえます。(開催時間、開催場所などの詳細は、Honda Collection Hallイベントスケジュールを参照) 料金は無料、所要時間は約30分、定員は各回10名となっています。受付は、当日、コレクションホール1Fのインフォメーションでできます。もてぎ周辺までいくと渋滞もないですので、ツーリング先としても候補にあがると思います。

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www.twinring.jp

以下、宮城光さんのガイドの内容です。

ゼッケン46番ですね。

バレンティーノ・ロッシ選手、現在はヤマハに乗っていますけども、当時はこのホンダで2ストロークの500ccクラスの最高峰クラスに出ていました。46番のバレンティーノ・ロッシ選手、そしてこの4番は、アレックス・バロス選手かな、これはもう一年違いですけども、NSR500の最終型になります。NS500から始まりました1982年からはじまったのかな、NS500からはじまりまして、約20年間続いた2ストロークの時代だったんですけども、2ストロークの時代はもっと長かったんですけども、ホンダの2ストロークの時代としてはですね、時代が変わろうとしていました。それはちょうど2002年から、4ストロークの1000cc、990ccのMotoGP、4ストロークバイクにレギュレーションが変更になっていった訳ですね。こちらのこの2台はですね、そういった意味では、2ストロークの最終型とも言えるマシンですね。

 

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2002年型の、このアレックス・バロス選手の2ストロークNSR500と実はこちらにある、これはもう2003年かな、2002年の同じ時代には、2台のバイクが1年間、同時混走したんですね。全ての、全員のチームがですね、4ストロークのグランプリバイクを用意出来ないのではないか、また、4ストロークのグランプリバイクがどこまで性能がでるか、まだわからなかったんですね。実際には、メーカーでは実際の性能値を測っていますから有利なのはわかっていたんですけども、世界的には、まだどうなるか判らない、やっぱり2ストロークの500の方が速いんじゃないか、ということで、当時の2002年の1年間は500と990ccが混走する形になったんですね。ところが、シーズンの蓋を開けてみますと、4ストロークの990ccが圧倒的に有利に立った訳ですね。これはもう、遡ること20年前のNR500であったり、4ストロークと2ストロークが闘ってきた時代というのは同じ排気量だったんですけども、2002年のレギュレーションで、4ストロークは990cc、2ストロークは500と、倍の排気量を与えられたことによって、4ストロークは大変性能が出た訳ですね。

この年のシーズンが終わりました時に、僕は鈴鹿サーキットで、このRC211V、バレンティーノ・ロッシ選手の4ストロークのマシンと、加藤大治郎のNSR500と同時にテストするタイミングがありました。NSR500は、僕が現役時代に乗っていた、やはり2ストロークのNSR500で、そこから10年経っていましたけども、いいところがどんどん進化していましたけども、やはり2ストロークのシビアな難しさがありました。一方、この4ストロークの1000ccは、大変コントローラブルで、同じトップエンドのスピードが出るものの、そこにいくまでのコントロール性というものは圧倒的に4ストロークのマシンに優勢があったものですね。これは鈴鹿サーキットのどんなところで感じたかというと、鈴鹿サーキットの立体交差、デグナーを回りまして立体交差を過ぎて、110Rからヘアピンのアプローチがあるんですね。そこで、2ストロークの500ccというのは、大変難しいハンドリングを体感しました。一方、その直後に乗り換えたRC211Vは、自分の狙ったところにフロント荷重がかかって向きを変えていった訳ですね。2ストロークのNSRがいい悪いではなくて、2ストロークの軽さ、そして2ストロークの敏感さが生み出した難しさがやっぱり残っていた。一方、4ストロークのこちらのマシンはある程度の車重があり、4ストロークのある程度のエンジンブレーキ、こういったところが、高い旋回を出すことになったんですね。それを自分自身も2002年のシーズンエンドに体感した思い出があります。そこから2ストロークというものが終了しまして、現代の4ストロークのGPに続いてきたということですね。


現代では、圧倒的にホンダの4ストロークの強さを見せていますけども、もともとは、一番初めにご覧いただきましたブラジルに参戦したあの水色のバイクからスタートしまして、世界のレースの情勢がわからぬまま、日本の本田技研の大先輩達が本当に自分達の思うままにですね、チャレンジしていった、そこから、MVアグスタ (MV AGUSTA) であり、多くのライバルメーカー勉強させていただき、学び、そして、国内の浅間火山レースで大活躍をして、マン島にチャレンジし、そこから、この4ストロークの歴史に繋がっていったと思います。

途中にはですね、シーズンの、レースの、ホンダのレース活動の中にはですね、2ストローク、4ストローク全盛で1966年まではワークス活動をし、67年まで少しましたけども、その後はいったん休止し、その間にはですね、ホンダレーシングの活動は、世界耐久選手権、CB750、シングルカムのエンジンをフルチューニングしましたRCBというマシンがあるんですけども、ヨーロッパの耐久選手権の方で2輪のレース活動を細々と有志で繋いでいったんですね。

そして、1978年、79年に、もう一度、グランプリに参戦します。しかし、その時には、2ストロークではなしに、その時世界選手権は、2ストロークが主流でしたけども、ホンダは4ストロークでチャレンジする。そこで開発されたのが、V型4気筒の楕円ピストン、ちょうどいま講話されていますけども、NR500を開発し、そこからさらに、即戦力に繋がるような2ストロークを開発、それがNS500に、そしてNSR500になり、2002年まで2ストロークの全盛をホンダを作ったんですね。そして、現代はこの4ストロークのGPに対応し、レース活動をしているといったところでございます。

宮城光さんのコメント: Honda歴代ロードレーサーの鼓動

 

荒川テストコースでマシンの挙動を観察する本田宗一郎(1958)

この写真は、ホンダコレクションホールに掲載されていた写真です。「荒川テストコースでマシンの挙動を観察する本田宗一郎(1958)」と説明があります。当時、ホンダのテストコースは荒川にありましたが、だれよりも近くで、低い位置で、マシンを観ている様子です。現代の経営者で、ここまで情熱を持って自社製品を見る人がどれほどいるかと思うと、感動的な写真です。

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ツインリンクもてぎといえば、2015 FIM MotoGP 日本GP (2015年10月11日決勝)のチケットの発売が、6/6(土) から開始されています。レースだけでなく、多くのイベントが計画されていますが、中でも注目は、ケニー・ロバーツ (1978-80 WGP3連覇)とケニー・ロバーツ (1985 500/250ccダブルタイトル獲得) も来場です。

 

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ことしも、募集台数1000台の「グランプリロードR123パレード」(道の駅もてぎからツインリンクもてぎまで)を開催するそうです。また、ことしは、日本の3メーカー(ホンダ、スズキ、ヤマハ)が選手権出場していることを記念して、2010年に開催されて好評だった「RASHIN」展も催されます。3社の1970年代からのグランプリマシンが「カウルレス」で展示されるとアナウンスされています。

展示車両(予定)
Honda: NS500 (1984)、NSR500 (1984、1988年、1989)
SUZUKI: RGB500 (1980)、RG-Γ (1982)、RGV-Γ (1988、1993)
YAMAHA: YZR500 (1978、1983、1988、1992)

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